こんな僕ってすごいでしょ症候群

色々と青臭いことを考えている。
以下に書いたことは、相当むちゃくちゃなことだと思う。


20台の目標は、10代、20代を振り返り、その体験と否応なく纏ってしまった邪魔な鎧(=価値観)とを整理し、反省し、破壊することだと考えている。


私は、物心ついてからずっと、人と違う自分でありたい、特別な自分でありたいと、心のどこかで思い続けてきた感がある。
人はきっと10代・20代のどこかで、自分が特別でないことを心底理解し、生まれ変わるのではないか。
私は「いやいや、自分なんて平凡で無力な人間ですよ…」と言いながら、きっと自分は凄いのだ、何かできるのだ、皆から愛されるのだ、と思い続けてきた。
幼少のころに受けた愛情と、学生のころに感じた優越感を、28歳の今でも引きずって生きている。

田舎の中学で秀才としてチヤホヤされた10代前半、学力とプライドのバランスが全く取れていなかった10代後半、他人に勉強しかできないと思われるのを怖がり「他のこともいろいろ知っています。特に文学とか。」とポーズをとり続けた20代前半、早稲田・大学院卒であるというブランドを盾に、社会人は大抵ロクでもない、と心のどこかで思ってしまっている20代後半…。
恥ずかしいことを書いているが、あながち間違いではない気がする。

自身の王国を壊されるのを過度に怖がり、他人との交流を遮断してきてはいないのか。
もし相手が、自分よりずっと知識や経験が豊富だと察した瞬間、恐怖で声が出なくなる。
実生活で会う方々に、「分からない!」「しらない!」「教えて!」と素直に言えない、屈折した性格。

これは、知識への哀惜でもなければ、学問への希求でもない。
ただ、他人からどう見られるかだけを過度に意識している、自分大好きっこに他ならないではないか。
「こんなこと考えている僕ってすごいでしょ?」というやつである。

実は、この記事を公開することに対しても「僕はこんなに成長したんだよ、すごいでしょ?」といった気持ちが、心のどこかにある。
そもそもブログを書く動機は、こんなに悩んでいて、頭の良いぼくを、誰かに褒めてほしいから。
読んでくださる方に少しでも価値ある何かを提供しようとする意志はなく、ただ自己顕示だけのための、ゴミ溜めのようなブログ…。
(いや、私が書くこと自体が読者に価値を与えているのだ!と、タレントを気取っている)


いきなりまとめると、自分をキャラ化して演出する心理に毒されていると言えるだろうか。
恐らく、私は人と会ったり話したりするとき、自分をキャラ化して、そのキャラになりきって応対し、かつキャラについて語ることで、自身を防衛している。
実にタチが悪い。
うーん、一度プロのカウンセリングを受けようかな…。

あ、怠け根性をタレント根性で上書きしてごまかしているともいえるかな。
つまり、本当に人とは違う自分になりたければ、その方法を本気で考えて、行動すればよいのだが、そんな勇気はないのである。
自分で自分を肯定してしまっていることにも問題がある。


以上、毒を吐き出すつもりでかなり大胆に述べてみたつもり。
しかし、まだまだ本質には手が届いていないと思う。

わたしのファッション考

身に着けるモノに気を配ることは、自身の思索がおろそかになることだから、極力意識の外に置いておこう…むしろ、だらしない恰好をしてこそ”考える人”だ、と思っていた時期が私にもありました。
今となってはそんなことはない。

身の回りのものはテキトーに選ばず、ちゃんとサイズの合ったもので、買える範囲で少しでも良い素材の物を身に着けようと思っている。
一番の購入基準は、身に着けていているだけで、わくわくするかどうか。

ここ数年少ない知識で選定したブランドには、以下のものがある。

■服
五大陸、鎌倉シャツ、フェアファックス、ユニクロ

■靴
スコッチグレイン、リーガル

■カバンなど
ヘルツ、土屋鞄

■メガネ
丸メガネ研究会


皆さんご存知のブランドであろうが、私のリサーチ力では上記が限界だった。
ニッチなところまでリサーチするには、場数があまりにも足らない。
また、ブランドにもコンセプトや理念がある。私はまだそこまで気を配れていない。
ネットやお店をぶらぶらして、感じの良いブランドを見つけ、実際見てみたり触ってみたりして、いいものダナーと思ったものを買っているに過ぎない。
大抵は、あらやだ高杉!で退散であるが…。

身の回りの物を一度にそろえることなど不可能だから、25歳ごろから徐々に集めている。今28歳なので、これは3年の成果である。

特にワイシャツは好きである。
五大陸やフェアファックスは、普通に買うと15000円くらいはするので、デパートのセールを狙う。
セールで買っても、袖丈を詰めるなど、最低限の調整は行ってくれる。
そうやって少しの調整を行ってもらった服でも、何となく着心地がわるいものもある。
この頃は、5000円で体に合わないものを買うくらいなら、パタンオーダ、イージィオーダしても良いと思い始めた。
伊勢丹や京王デパート、麻布テーラーなどでは存外安く作ってくれる。1万円くらいから。
見た感じ、1万〜2万円の生地が多い印象。オプションも豊富(ボタンをプラから白蝶貝へ変更は1000円)
伊勢丹のセールでは、綿100パーセントの生地2着で1万6千円くらいのときもある。
オーダーといえども、形や色はいたってシンプルなものが良いなあ。
ボタンホールの色を変えるといったことはしたくない。
白のセミワイドで、前立てなし、胸ポケットなしをつくりたい。ボタンは白蝶貝に。
いつか、シャルベのワイシャツにたどり着きたい。イージィオーダで5万円くらいかな。

コートは五大陸である。一つ、(私の基準で)めちゃくちゃ良いものを持っておこうと考えて。
池袋の西武デパートを見歩いて、これぞと思うものを選んだ。
定価8万円くらいだった。割引で6万くらいだったと思う。
とっても着心地がよい。

スーツも身体の形に合っていて、良い素材のものがほしいのだが、費用がかさむので入社時に買ったポリエステル70パーセントのスーツを着ている。
表面が毛羽立ってきてホコリがつきやすい。
そろそろデパートのセールなどでオーダスーツがほしいところ。
セールなら、イージィオーダでも5万円も払えば立派なものを拵えてもらえる。
フルオーダは20万円くらいですけど…。

靴は、ソールの修理・交換ができるタイプのものにしている。
グッドイヤーウェルト製法というらしい。その構造や工程が面白い。
革底の物とゴム底の物を持っている。ビジネスシューズは2,3万円くらい。
黒のプレーントゥ、黒のストレートチップ、茶色のUチップ。
それに、ウォーキングシューズのようなものもある。これは1万円くらい。
休みの日は靴ではなく雪駄である。これは大切な方からのもらい物。
どれも履き心地がよく疲れにくい。
ちなみに、調べた限りリーガルもスコッチグレインもメーカのサポート体制が素晴らしい。
店員さんも知識豊富で頼もしかった。
採寸はスコッチの方が本格的だった気がする。

鞄は昔風の革鞄。
少し重いがとても頑丈で持ち心地が良い。
革なので、時間と共に表情が変わってゆく様も見ごたえがある。
3WAY仕様で、手持ち、肩掛け、リックになる。
メインの鞄と財布をヘルツ(渋谷店)、小銭入れや名刺入れを土屋カバン(自由が丘店)で購入。
カバンは5万円くらい、財布は2万円くらい。小銭入れと名刺入れはそれぞれ5000円くらいだった。

靴も鞄も革なので何より手入れが大切である。
買ったお店で薦められるがままに手入れグッズを買い、店員さんとネットから教えてもらった方法で手入れしている。
鞄は一カ月に一度、靴は2週間に一度くらいの割合で、磨いたりオイルを薄く塗ったりする。

メガネは、高校生のころから欲しかった丸メガネのみ。
私は眼幅が広いため、チェーン店の丸メガネは幅が狭く合わなかった。
何より、チェーン店の丸メガネは、丸メガネと言っておいてレンズが楕円なのもの気に入らなかった。
かれこれ10年近く探して、ようやく丸メガネ研究会というブランドにたどり着いた。
東京では、西荻と中野の個人店で販売されている。
私は西荻の「オプテックレインボー」というお店で購入した。
フレームが25000円、レンズが12000円くらいだった。
妻のメガネもここで買ったり、時折ふらりと訪れたりしている。
いずれ2本目の丸メガネもここで買うつもり。


このように、ワイシャツ、コート、靴、鞄、メガネに対して、この3年で30万円分くらい投資をした。
向こう10年強のファッションの基本パタンを掘り起こしているつもり。現在、進捗は80パーセントくらいな印象。
初期にしっかりそろえて、後は修理をしたり、メンテナンスをしたり、買い足したり…という、ルーチンに入る予定で動いている。
目標では、30歳までに私の趣味に基づいて一通りそろえる。
そして30代はメンテナンスに励む。
財力の範囲で、納得できるものを大事に使いたい。

ちなみに、腕時計は高校入学時に祖父が買ってくれたものを使っている。
15000円くらいだったはず。
ブログにも書いた気がするが、センター試験の物理の最中に止まった時計である。
愛着があるので、完全に修理不能になるまで使い続けるつもり。


多分、ファッションの到達点の一つは、すべて自分で作るということなんだろうけど、私にはその気力も技術もイメージもない。
だからこそ、共感できる製品や作り手さんを見つけて長く共に歩んでいきたい。
そして、自分だけではなく、家族で納得できるスタイルを手にしていきたい。

値段は非常に重要な要素だと思っているので、敢えて書いてみた。

私は実に空虚なのかもしれないのだった

内向的だと思っていたが、どちらかと言えば外交的かもしれない

家にいることが好きだと思っていたが、どちらかと言えば外に出ることが好きかもしれない

虚学が好きだと思っていたが、どちらかと言えば実学が好きかもしれない

勉強が好きだと思っていたが、どちらかと言えば嫌いかもしれない

最新の機械は嫌いだと思っていたが、どちらかと言えば新しいもの好きかもしれない

権威主義は嫌いだと思っていたが、どちらかと言えば好きかもしれない

私が好きなことは本当に好きなことではなく、単なるキャラ演出かもしれない

周りから思われたい自分を演じているだけかもしれない



今更ながら振り返ってみた

我ながらなんとも青臭い

うすうす感じつつ見ないふりをしてきたが、私は実に空虚なのかもしれないのだった

空虚なる私は、私以前のなにかなのであった

ここいらで一度リセットしてみても良いなと思い始めたのだった

無理がたたると太りますから

おさかなの手拭い

携帯電話の料金プランを変更していないし、スーツを新調していない。靴は磨いた。
思い立ったら即行動など無理なので、ゆっくり温めておきたい。
無理をするいろいろと身体が疲れてくる。

調布で手拭いを買った。
リビングと寝室の間仕切りに使いたい。ひらひら、のれんのようにして。

仕事上では何でも、ただの人間関係を大切にしたい。
ところで、相手にレッテルを貼ることなく付き合うことは果たして可能なのだろうか。

人生の一日

週末の予定は、特にないことが多い。
近々行おうと考えていることは、携帯電話の料金プランを変更する、スーツを新調する、靴を磨く、これくらい。
仕事以外では、本当に大切な人としか、会わない。そういう人は少ないから、誰かと会う機会はめっぽう少ない。

いつか、家族で身延山の桜を見に行きたい。


阿部昭の短編小説『人生の一日』は印象的な小説である。
かつて、なんともなかった一日が、大人になったある日突然鮮明に思い出され、その後の人生を縛ってゆく…そんな一日。
この短編の中でとりわけ気にかかるのは、不可解な後半。
あれは「人生の最後の一日」と言えるものであろうか。

「とうとう一人になった…
 そう思って私はそこにしゃがみ込んだ、子供だったあのころのように」(全集第五巻pp.206-207 岩波書店)

阿部昭の文学的才能のすさまじさは、到底私には量り知ることはできない。
ただ、この短編小説の上述最後のフレーズは、この人の姿勢を代表する一文だと私は思う。

この作家を、一生かけて読もうと思っている。