MacBook購入

新宿でMacBook(Early 2016)を買った。
プロセッサは1.1 GHz Intel Core m3、メモリは8GB、ストレージはSSDの256GBと、何も盛っていない。重い処理をかける予定もないし、特大のデータをローカルに格納しておく予定もないので、あえてハイスペックにする必要性を感じなかった。ArcGISとかを自宅でも使うようになったら、空間データ分析用のハイスペックマシンを買います。

このMacBookはもうすぐ型落ちになる予定(おそらく4月ごろに新型が出る)なので、1万円強の値引きに11%のポイント還元とかなりお買い得な値段設定。税込で12万8000円くらい、ポイントは1万3000ポイントくらい付いたので、実質11万5000円くらいかな。まあ特に他の家電製品を買う予定はないんですけど・・・。

購入場所は、ヤマダ電機新宿東口店。

新作によほどのこだわりがない限り、私は型落ちを狙った方がお得だと思う。
それは、次の理由によります。
・安い(購入場所によっては)
・安定している(初期不良情報がフィードバックされているはず ※推測です)
・ユーザーが多い(製品情報が溢れている)


これで色々な場所で仕事したり、コードを書いたり、開発ができそう。


今の所の不満といえば、薄すぎて開けにくいことと、ヒンジの裏がちょっと鋭利で、カバンに入れようとしたら手の皮が切れたことくらいかな。あと、文字を入力した時、勝手に変換されていってしまうのだけど、ちょっと使いにくい。すぐに機能をオフにしてしまった。

Pythonの勉強をはじめました

仕事で使いこなせれば、これまで手作業でプチプチやっていた作業を自動化できて、もっと早く帰れるのでは、と思ったことが勉強の動機です。

とりあえず、初心者にやさしいと定評のある『Pythonスタートブック』と、もう少し発展的なオライリー社の『Python3』を購入。まずは前者を読み進めているが、本に書かれているコードをインタラクティブシェルに打ち込みながら、どんどん進められる。でも、データ型、関数、メソッド、クラスなどの言葉をしっくりと理解できている気はしない。

ちょうど仕事でArcGISを使う機会が多くて、Pythonコードが書ければ、これも自動化できる。自動化できれば早く帰れる、早く帰れれば子どもとたくさん遊べる、たくさん遊べればやる気が出る、やる気が出れば仕事がはかどる、仕事がはかどれば給料が上がる・・・といいことずくめ(妄想)なはずなので、頑張って勉強しよう。

近景と遠景

有給をとった静かな午後、4ヵ月の息子はリビングで昼寝をしている。
妻は髪を切りに行っている。
私は音楽を聴きながら、新居の照明やレイアウトを考えている。

こんな穏やかな生活が送れるなんて、思ってもみなかった。
少し持ち物を減らした。
モノに記憶された過去を一つずつ確認しながらきっぱりと捨てて、これからを記憶する余白を作った。

遠景を望みつつ、近景を大切にして暮らしていこうと思う。

家族が増えました

今月初旬に息子が誕生し、家の中がにぎやかになった。

彼の今の気分は、おなかの中の安寧さに比べれば、この外の世界はなんと面倒で居心地が悪いのだろう・・・といったところだろうか。
と言っても、世界に対する根本的な居心地の悪さに折り合いをつけるのは彼自身なのであって、我々にできることは、彼が安全に暮らすことのできる環境を整えてあげることくらいである。

あまりべったりとすることもなく、ドライになり過ぎることもなく、一個人として尊重して接しよう。
彼が我々から自由になれる準備を着々と進めよう。

きっと十何年もすればこの家から居なくなる彼のことだから、今だけは、健やかなる成長を見ていることにする。

こんな僕ってすごいでしょ症候群

色々と青臭いことを考えている。
以下に書いたことは、相当むちゃくちゃなことだと思う。


20台の目標は、10代、20代を振り返り、その体験と否応なく纏ってしまった邪魔な鎧(=価値観)とを整理し、反省し、破壊することだと考えている。


私は、物心ついてからずっと、人と違う自分でありたい、特別な自分でありたいと、心のどこかで思い続けてきた感がある。
人はきっと10代・20代のどこかで、自分が特別でないことを心底理解し、生まれ変わるのではないか。
私は「いやいや、自分なんて平凡で無力な人間ですよ…」と言いながら、きっと自分は凄いのだ、何かできるのだ、皆から愛されるのだ、と思い続けてきた。
幼少のころに受けた愛情と、学生のころに感じた優越感を、28歳の今でも引きずって生きている。

田舎の中学で秀才としてチヤホヤされた10代前半、学力とプライドのバランスが全く取れていなかった10代後半、他人に勉強しかできないと思われるのを怖がり「他のこともいろいろ知っています。特に文学とか。」とポーズをとり続けた20代前半、早稲田・大学院卒であるというブランドを盾に、社会人は大抵ロクでもない、と心のどこかで思ってしまっている20代後半…。
恥ずかしいことを書いているが、あながち間違いではない気がする。

自身の王国を壊されるのを過度に怖がり、他人との交流を遮断してきてはいないのか。
もし相手が、自分よりずっと知識や経験が豊富だと察した瞬間、恐怖で声が出なくなる。
実生活で会う方々に、「分からない!」「しらない!」「教えて!」と素直に言えない、屈折した性格。

これは、知識への哀惜でもなければ、学問への希求でもない。
ただ、他人からどう見られるかだけを過度に意識している、自分大好きっこに他ならないではないか。
「こんなこと考えている僕ってすごいでしょ?」というやつである。

実は、この記事を公開することに対しても「僕はこんなに成長したんだよ、すごいでしょ?」といった気持ちが、心のどこかにある。
そもそもブログを書く動機は、こんなに悩んでいて、頭の良いぼくを、誰かに褒めてほしいから。
読んでくださる方に少しでも価値ある何かを提供しようとする意志はなく、ただ自己顕示だけのための、ゴミ溜めのようなブログ…。
(いや、私が書くこと自体が読者に価値を与えているのだ!と、タレントを気取っている)


いきなりまとめると、自分をキャラ化して演出する心理に毒されていると言えるだろうか。
恐らく、私は人と会ったり話したりするとき、自分をキャラ化して、そのキャラになりきって応対し、かつキャラについて語ることで、自身を防衛している。
実にタチが悪い。
うーん、一度プロのカウンセリングを受けようかな…。

あ、怠け根性をタレント根性で上書きしてごまかしているともいえるかな。
つまり、本当に人とは違う自分になりたければ、その方法を本気で考えて、行動すればよいのだが、そんな勇気はないのである。
自分で自分を肯定してしまっていることにも問題がある。


以上、毒を吐き出すつもりでかなり大胆に述べてみたつもり。
しかし、まだまだ本質には手が届いていないと思う。