大学受験に失敗する秘訣

私は11年前の2006年と10年前の2007年に大学を受験しています。2006年は現役生で、翌年は浪人生として再チャレンジしましたが、第一志望の大学には落ちました。現役・浪人と第一志望に2度も落ちたという意味で、「失敗」または「挫折」です。それゆえに、大学受験は私の心に、一生消えないであろう傷跡を残しました。
だからでしょうか。

ー大学受験の頃のような姿勢で、ものを学ぶことはやめよう。

受験が終わって数年が経った頃、そう思うようになっていました。
あれから10年、第一志望に2度も落ちた原因であろう、私の「悪い習慣」をちゃんと言葉にしたことはありません。言葉にすることを恐れていたのかもしれませんし、言葉にできるほど原因を実体視できていなかったのしれません。しかしそろそろ、時間が、私にその「悪い習慣」を分析する視座と勇気を与えてくれている気がします。そこで、あのときの教訓を簡単でもいいから、ちゃんと言葉にして残しておこうと思います。

結論から書きますと、私が「悪い習慣」と思っているのは、次の3点です。

・自分の理解度に嘘をつく習慣
・自分で回答を導き出そうとするのではなく、知識をコピペしようとする習慣
・一人で勉強する習慣

以下で一つずつ説明します。

自分の理解度に嘘をつく習慣

私は自分の理解に嘘をついて過ごしていました。例えば、数学の問題で、少し考えて解けなかった問題があったとします。ちらっと解答を見ます。私はよくこう思いました。

あ、これは知ってた。解けるはずの問題だ。OK、次へ

いや、実際解けていません。こうやって解けないけれど理解しているとみなして、深く追求することなく放置していった問題や考え方が山のようにありました。ふつうは「自分が何をわかっていないか」、「何ができないか」を知るためにを問題を解くわけですが、私は自分がいかに問題を知っているかを知るために、勉強(のふり)をしていたわけです。


自分で答えを導き出そうとするのではなく、知識をコピペしようとする習慣

受験への姿勢を思い出してみると、どの科目も自分の頭で考えて答えることを半ば諦めていたフシがあります。できるだけ多くの問題に触れて解き方を覚えて、試験でうまいこと吐き出そう。そう思っていました。知識のコピペともいうべきこの習慣は、未知の問題にはもちろん、少しでも問いの角度を変えられてしまうと、全くというほど役に立ちません。

あわよくば正解できたとしても、自分がなぜそう答えたのか適切な理由が説明できないのです。これでは、受験に限らず、「答える人」として致命的で杜撰です。正解できているとは言えません。問題が解けるということは、自分の頭で、問題を理解して的確な筋道を立て一つ一つ進んでいく、知的な営みなはず。


一人で勉強する習慣

私は一人で勉強していました。誰かと、理解を確かめ合うこともしなければ、教えを乞うこともありませんでした。誰かに教えることもしませんでした。自分の無知さを誰かに知られたくなかったのかもしれません。ただこれでは理解のバイアスがかかりすぎますし、誰かと理解を確かめあわないと、自分の無理解や至らなさに自覚的になりにくい。

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